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わらじ村長鎌田三之助
 
 鎌田三之助は1863年(文久3年)木間塚村竹谷に生まれました。1878年(明治11年)15歳の時に上京し、漢学塾や法律学校で5年間勉強しました。
 村に帰ってからは、家業である田や畑の仕事をしながら村をよくするために働きましたが、そのうち郡会議員や県議会議員、さらに衆議院議員となって広く社会のために活躍しました。そして、三之助は品井沼の干拓のために大きな働きをしたのです。

 

 

 
鎌田三之助と品井沼干拓の歴史
 
1863 ・鎌田三之助が生まれる
1879 ・ファン-ドールンが品井沼を調査する。
1894 ・鎌田三之助が県会議員になる。
1889 ・品井沼沿村組合をつくる。
1898 ・組合で干拓工事のための調査を始める。
1899 ・品井沼のまわりが大水害になる。
1901 ・沿村組合を品井沼水害予防組合とかえる。
1902 ・鎌田三之助が衆議院議員になる。
1906 ・明治排水路の工事が始まる。
1907 ・工事が難しくなり、工事中止の意見が強くなる。
1908 ・メキシコから三之助がもどり村人を説く。
1909 ・洪水でトンネルがくずれ工事が難しくなるが、
 三之助の努力で意見がまとまり工事を続けることになる。
   ・鎌田三之助が鹿島台の村長になる。
1910 ・明治排水路が完成する。
1927 ・鎌田三之助が藍綬褒章を受ける。
   ・干拓地に山形県から入植者が入る。
1940 ・吉田川を改修し、鳴瀬川と平行して海に流す。
   ・サイフォンが完成する。
1942 ・サイフォンの近くに第一揚水機場を作る。
1946 ・鎌田三之助鹿島台村長をやめる。
1950 ・鎌田三之助病気のため死亡。
 
少年期
 
 三之助は頭脳は頗る明晰で力は飽くまで強く、彼の向こうを張るものはなかったと伝えられています。
 
東都へ遊学
 
 明治11年(三之助16歳)の春のこと、三之助は政治家になろうと思い明治法律学校の法学部に入学した。入学後は西欧の文化を吸収することができたので、三之助は東北田園の土臭さなどはなくなり西洋かぶれの学生となっていった。その後、明治17年三之助21歳で郷里にもどり父を助け、品井沼干拓のため心を打ち込んでいきました。
 
青年三之助に期待
 
 明治17年、三之助22歳、郷里に帰っていた時のことでした。土地に天然痘が流行したので、早くもこれを頗る憂慮して痘苗を購入し、一切の費用を自弁して村民に接種させました。また19年には、村に開業医がいないのを憂えて、栃木県人の大越寿亭を木間塚に招き、薬品、医療器具一切を与えて開業させ、その費用も総て自分の手許から支出したということでした。
 また、18年には、木間塚に大成館を建ててここで青年たちに夜学で教授しました。


 
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